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エズラ・パウンドの詩から文章の書き方を学ぶ

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こんにちは!りょっぴです。

大学の講義で、エズラ・パウンドが英訳した李白の詩に触れました。そこで、講義の内容をざっと紹介するとともに、考えたことを書いておきたいと思います。

Separation on the River kiang(1915)

Ko-jin goes west from Ko-kaku-ro,
The smoke flowers are blurred over the river.
His lone sail blots the far sky.
And now l see only the river,
The long Kiang, reaching heaven.

Rihaku


李白の詩「送友人」を翻訳したもので、「親友との別れ」を描写する詩である。
パウンドはこの詩のどこに惹きつけられ、翻訳に至ったのだろうか。

それは、イメージだけで感情を表現するというテクニックだ。この文章には、感情を示す表現がない。にもかかわらず、親友との別れを惜しむ書き手の「名残惜しさ」がくっきり浮かび上がってくる。

本題に入る前に、少しこの詩の説明をしておこう。この詩では、「親友が船に乗って広大な川をゆっくりと進んで行き、地平線の彼方へ見えなくなるまで見届ける様子」が描かれている。親友を乗せる船が、地平線の向こうへ行ってしまい、残された書き手には、ただ大河が見えるだけであった。

書き手は、船が地平線の向こうへ見えなくなるまでじっと眺めていた。ko-kaku-roというのは、揚子江岸にある(日本でいう五重塔のような)黄鶴楼のことである。揚子江は、広大な川であり地平線の奥まで見送る行為というのは、大変時間がかかったと思われる。

なぜ、何時間もかけて親友を見送ったのか?


この問いには、当時の交通(移動)について知ることで答えられる。
当時は飛行機や電車などはもちろんなく、船での長旅が普通であった。そのためこの詩での「別れ」は、いまを生きる私たちの考える「別れ」とは異なり、「もう死ぬまで会えない」名残惜しいという言葉以上の行為であった。

「もう親友とは二度と会えない」別れを、この詩では感情をのせずに、イメージだけで表現している。そして、パウンドはこの東洋的な「イメージを用いた感情表現」に感激し、翻訳に至ったのである。


イメージには、感情を増幅して伝える効果がある。たとえば、源氏物語がイメージで感情を伝える良い例だ恋愛でも、言葉に出して伝えずに、行動で示すといった手法がある。(言葉で言ってくれた方がはっきりしていて、わかりやすいという意見をお持ちの方もいるかと思うが…)

あえて言葉にしないことで、より感情が引き立てられるのだ。

 パウンドの詩を読んで…

文章を書いていると、「文章に感情をのせるか」という迷いが生じる。「〜が良かった」「感動した」「すごかった」などと、感情を表現する言葉はいくらでもある。しかし、こうした表現を用いて自分の感情を正確に伝えられるだろうか。

主観を語るからこそ、客観で表現する。誰にでも理解のできるイメージを通して、感情を語る。感情を直接、言葉にしてしまうのではなく、イメージにのせることで伝えることの大切ではないだろうか。

パウンドの詩を読んでぼくの考えたことをまとめました。
読んでいただき、ありがとうございます。